宗旨
13.蓮如上人と「御文章」
~広く易しく伝える~
蓮如上人(1415~1499)の伝道
室町時代に活躍された本願寺第八代宗主・蓮如上人は、独創的な伝道で今日の本願寺教団の基盤を築き、「中興の祖」と仰がれています。蓮如上人が実行された伝道の例としては、 名号本尊の授与を積極的に行われたことがまず挙げられます。また、本願寺における朝夕の勤行に親鸞聖人のつくられた「正信偈」と「和讃」を取り入れ版木を作って「正信偈和讃」の本を印刷・発行されました。
『御文章』
そして何といっても、蓮如上人の伝道を語るうえで外すことができないのが『御文章』です。『御文章』は蓮如上人が真宗教義の要を平易なお手紙として書かれたもので、『御文』ともいいます。どんな人にも領解されるよう工夫がなされ、俗語まで駆使して書かれています。『御文章』は各地のご門徒がたの前で読み聞かせられ、これにより遠い地まで浄土真宗の教えが広く伝えられることとなりました。現在、日常味わわれている5帖帖80通の『御文章』は、蓮如上人の後を継いだ第九代宗主・実如上人のもとで多数の『御文章』のなかから特に肝要なものを選びまとめられたものです。
「白骨の章」を味わう
『御文章』の一例として、広く知られている「白骨の章」(5帖第16通)を味わってみましよう。「白骨の章」ではまず、人生のはかないありさまが、古典からの引用を織りまぜた印象的な言葉で述べられていきます。「されば朝には紅顔ありて夕には白骨となれる身なり」。朝には元気な顔を見せていた人が、突然の死を迎え、夜には火葬されて白骨となってしまうように、いまどれだけ元気だと思っていても、次の瞬間に私のいのちがどうなるのかはまったくわかりません。
だからこそ、蓮如上人はすすめてくださいます。「たれの人もはやく後生の一大事をこころにかけて、阿弥陀仏をふかくたのみまゐらせて、念仏申すべきものなり」。はかない人生だから死んだ後で良いところに行こう、というのではありません。ひとたびすくいとったからには、何があっても決して捨てることはないとよびかけてくださるのが阿弥陀如来です。その阿弥陀如来におまかせして念仏申す人生は、寿命の長短や亡くなりかたの善し悪しに縛られることなく、一人ひとりがそれぞれのご縁のなかで精一杯生き抜くことのできる、真に力強い人生なのです。