宗旨
24.現世祈祷
~真実のご利益~
祈らない教え
「教章」の「生活」の項には、「現世祈祷などにたよることなく」と示されています。世間では、お寺や神社で「病気が治りますように」などと現世祈祷をするのはごく普通のことと思われていますが、そのような現世祈祷をたよりにしないというところに、浄土真宗の大な特徴があります。
願いがかなっても迷い、かなわなくても迷い
「ほかには何も望みません、どうか病気が治りますように・・・」と現世祈祷をして、原因はどうであれ、たまたま病気が治ったとします。その時は人生最高といえるほどのよろこびがあるかもしれません。しかしドラマと違って私の人生はそこでハッピーエンドというわけにはいきません。生きていればまた次々と問題が発生し、別の願いも起こってきます。すると「やっぱりあともう一つだけお願いします・・・」。この繰り返しで、どれだけ願いがかなっても満たされず、尽きない欲望のなかで迷い続けるのがこの私でしょう。
そして、願いがかなわなければ「これほど祈っているのに!」と、ますます迷い苦しむことになります。何より、私の一番の願い、「死にたくない」という願いは、決してかなえられることがありません。煩悩を滅してさとりをひらくことを目的とする仏教の教えからすれば、現世祈祷をたよりにすることは、煩悩の火に油を注いで、さとりを拒むようなものだといえるでしょう。釈尊は老・病・死をどのように見据えられたか、改めて確かめてください。
浄土真宗の現世利益
現世祈祷にたよらない浄土真宗ですが、現世利益はあります。浄土真宗の現世利益の中心は、生きているこの時に、かならず往生成仏することが決定した仲間、正定緊とならせていただくという利益です。この利益は、私の方から「どうか正定緊にならせてください」と阿弥陀如来に祈ることによって与えられるのではありません。「かならずすくう」という阿弥陀如来の願いによって私に与えられるのです。
煩悩に満ちた私ですから、健康や財産を欲するこころは消えません。しかし、それら私が欲するものは、いつかかならず失われるものばかりです。一方、阿弥陀如来が与えてくださる正定緊の利益は決して失われません。正定緊の人は、その先の人生でどんな厳しい縁に遇っても、いのち終わる時に間違いなく浄土に往生し、最高のさとりをひらかせていただくのです。これほど心強く尊いご利益はありません。