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宗旨

5.釈迦如来の教え

釈迦如来の教え

仏教とは、いまからおよそ2500年ほど前、釈尊が私たちに苦しみの根本的な解決をお示しになられた教えです。

私たち人間を含む、あらゆる生き物は生老病死の苦しみから逃れることはできません。シャカ族の王子として生まれ、何不自由のない暮らしを約束された釈尊は、どれほどの物質的な豊かさがあったとしても、老いて、病にかかり、やがてはすべてを置いて死んでいかねばならないという苦しみから人間は逃れられないことにお気づきになりました。

この苦しみの解決の道を求め て、釈尊は、6年間の長きにわたり、王子という地位を捨て、家族を捨て、ただひとり、苦行の道を歩まれました。 しかし、どれほど肉体を苦しめたところで、こころの問題が解決しない限り、絶対的な平安にはいたらないことを理解された釈尊は、菩提樹の下で瞑想され、苦しみを根本的に解決する道をさとられたのです。

そして、釈尊は、この大宇宙のなかには、自分と同じように、あらゆる生き物たちの苦しみの解決をめざして歩まれた多くの仏さまがましますことをお知りになりました。

そのなかでも釈尊は、阿弥陀如来があらゆる生きものを相手に約束されたすくいこそ、いつの時代でも、どこの場所にあっても、決して変わることのない真理であることをお知りになり、阿弥陀如来と一体の境地から、そのことを私たちに説き示してくださったのです。

ですから、浄士真宗でいう「 仏教 」とは、釈尊(釈迦如来)の教えであると同時に、 阿弥陀如来の教えでもあるのです。

釈尊の生涯

誕    生

いまからおよそ2500年前、日本がまだ縄文時代であった頃、 現在のインド北東部のネパールとの国境近くにある カピラヴァストゥにシャカ族は居城を構えていました。そのカピラヴァストゥの郊外ルンビニーで、仏教の開祖である釈尊はシャカ族の王子としてお生まれになります。

日本ではその日が4月8日と伝えられ、甘茶を誕生仏にそそぐ「花まつり 」として宗派を問わず各地の寺院でお祝いがなされます 。

ところが 、産みの母マーヤー妃は釈尊誕生の7日後に亡くなりました。この出来事は、釈尊が誕生したことと関係して母親が亡くなったことを伝えています。母の死は、釈尊が青年期に深く生死について考えることになった、きっかけの一つといえるでしょう 。

四門出遊

釈尊の伝記には「四門出遊」という有名な話があります。

物思いにふけりがちで、 こころふさいでいた王子のことを心配した父、スッドーダナ王は、城内から王子のこころを暗くさせるようなものを取り除いたと伝えられています。しかし、釈尊はお伴を連れて城外に出られます。

東の門を出て老人と出会い「老苦」(老いの苦しみ)を知り、

南の門を出て病人と出会い「病苦」(病気の苦しみ)を知り、

西の門を出て死者と出会い「死苦」( 死の苦しみ)を知り、

最後に四つめの門である北の門を出て沙門に出会われます。当時インドで支配的であった宗教に不満をもったり飽き足らない思いをもつ人びとが、 新しい宗教運動を興していました。それが瞑想や苦行といった修行を行う出家の修行者「沙門」です。

出    家

人生に苦しみがあることを知った釈尊は、その苦悩からの解放をめざし、やがて出家を決意されます。この時、釈尊には妻子がいらっしゃいましたから、断腸の思いで出家を決断されたと推測されます。

出家された釈尊は、すぐに高名な二人の師の元で禅定を学びました。またたく間に釈尊は師匠と同じ境地に到達されますが、それに満足することができず、苦行の生活に入られます。

「苦行」とは食事を制限したり睡眠を減らしたりする、身体を極限まで痛めつける修行のことです。釈尊は六年もの間、苦行を修められましたが、この行によって得られるものにも満足することができませんでした。

さとり

苦行を捨てられた釈尊は、スジャーターという村娘に乳粥を布施され 、それを食し体力を回復されます。そして、ブッダガヤーの菩提樹の下で禅定に入られ、ついにさとりを開かれるのです。それはありのままを見る眼(如知知見 )によってもたらされた境地でありました。

さとりを開かれた釈尊は、修行の方法を確立し、45年にも及ぶ布教伝 道の生活でふれあった多くの人びとを導きました。その説かれた内容に絶対者の奇蹟や啓示はいい伝えられておらず、不安のなかを生きる人びとに対し て、占いや現世祈祷などをすすめることもありませんでした。浄土真宗の教えは、そのような釈尊の立場に習うものです。

入    滅

釈尊は、80歳の時に信者から食事の布施を受け、食中毒になったといわれています。当時の80歳というのは大変な高齢です。釈尊に付き従っていたアーナンダは、釈尊の体調が悪化していくのを見て、激しく動揺します 。釈尊は、そんなアーナンダを見て

自己を島(灯火)とし、自己を帰るべき場所とし、他のものを帰るべき場所としてはならない。教えを島(灯火)とし、教えを帰るべき場所とし、他のものを帰るべき場所としてはならない。(「自帰依、法帰依」についての教え )

と厳しく戒められます。既に教えは示されたのだから、自らが、その教えをよりどころとして修行をすすめていくべきだと説かれたのです。 釈尊は、体調がすぐれないなか、最後の旅に出られ、クシナガラの二本のサーラ樹( 沙羅双樹)の下で、入滅され、火葬されます。 2月15日のことであったと伝えられ、いまでもこの日には「 涅槃会 」という法要が営まれています。

仏教の思想 (1)苦しみ

釈尊の教えは、「 四つの聖なる真理(四聖諦)」にまとめられます。四つの聖なる真理とは、①苦しみの真理、②苦しみの原因の真理、③苦しみの原因を滅した状態の真理、④苦しみの原因を滅する方法・実践です。

このうち、「 苦しみの真理 」とは、生老病死の「 四苦 」に、怨憎会苦(憎い者と会う苦 )、愛別離苦(愛する者と別れる苦)、 求不得苦(求めるものを得られない苦)、五陰盛苦(人間として存在すること自体の苦)という四つを合わせた「八苦」、いわゆる「四苦八苦」として表現されます。

ここで大切なことは、仏教がいう苦しみとは、決して表面的で一時的な苦しみのことだけをさすのではなく、潜在的に私たちが抱え込んでいる根本的な苦しみをさすということです。たとえば、「求めても得られない苦しみ」とは、私たちが欲望をもつ以上、決して現在の状態に満足できないことを表したものです。どんなに恵まれた人であっても、なおも 飽き足らず、 何かを求めてしまうのが人間の性といえるでしょう。仏教はそのこころの動きのなかに「苦しみ」があると説きます。

浄土真宗の教えをいただく私たちは、阿弥陀如来の光明に照らされる中でそのような本来的な苦しみの正体を見つめさせられるのではないでしょうか。

仏教の思想(2) 煩悩

釈尊が「四つの聖なる真理」の第二に数えられたのが、「苦しみの原因の真理」です。釈尊は苦しみには原因があることをあきらかにされました。それは、菩提樹の下でさとった「縁起」の考えかたをもとにしています。縁起とは「因縁によって事柄が生起すること」で、この私たちの苦しみも、原因がわかれば対処法が見つかるということを釈尊は示されたのです。私たちの苦しみの原因をたどっていくと、こころの根底の「煩悩」といわれるものに行き着きます。すなわち、私たちのこころがもつ汚れ、「 煩悩 」といわれるものです。

仏教で煩悩の代表と見なすのが、貪り、怒り、愚かさの三つで、三毒とよばれています。貪りは好ましいものへの執着、 怒りは好ましくないものへの嫌悪、愚かさは真理や正しい道を知らないことや誤解をさしています。

仏教では煩悩の分析が盛んに行われ、煩悩の種類も細分化されました。有名なのが、108の煩悩とよばれるものです。

私たちの日常のすがたは、数え切れないほどの自己中心的な考えかたが次々と生まれては消える、こころのありようでしかありません。私たち凡夫はそのことに気づくことさえ難しいのです。  仏法に出遇う時、煩悩に満ち満ちている凡夫とは、ほかの誰のことでもなく、この私のことと気づかされるのです。念仏のみ教えに生きるということは、煩悩に満ちたありのままの私のすがたを見ていくことなのです 。

仏教の思想(3) さとり

釈尊は「苦しみの原因を滅した状態の真理」において、いわゆる「涅槃」の境地を説かれています。涅槃とは、煩悩の火がふき消され、平安なこころになった状態です。釈尊は、35歳のときに、菩提樹の下で瞑想されて、この境地に到達されました。そのことを私たちは、「 さとり 」とよびならわしています。

日本では釈尊がさとりを開かれた日を12月8日と伝え、現在も宗派を問わず釈尊の成道を祝う「成道会」が営まれています。

釈尊の説かれた教えの内容は、釈尊の入滅後「三法印」にまとめられます。

三法印とは①諸行無常 ②諸法無我 ③涅槃寂 静のことです。

①諸行無常とは、あらゆるものは常に変化することを意味します。

②諸法無我とは、あらゆる存在には「我 」がないことを示しています。

③涅槃寂静とは、煩悩の火を消した静かな状態でさとりの境地を意味しています。これは仏教徒の修行目標でもあり、さとりの境地をめざして仏教徒は修行にはげみました。

しかしながら私たちは、釈尊によって示されたさとりに背を向け、迷いの世界に生まれています。阿弥陀如来はこのような私たちをあわれみ、 願いをかけられています。

仏教の思想(4)修行

「四つの聖なる真理」の最後に挙げられるのは「苦しみの原因を滅する実践・方法の真理」です。釈尊は、このことを八正道(八聖道)の教えでお示しになりました。八正道とは、正しく見ること(正見)を根本とし、そのうえで正しく考えることなどの七つの項目(正思惟・正語・正業・正命・正精進・正念・正定)が続きます。

こうした釈尊がさとりに到るまでの過程は、王宮での快楽生活と苦行によって心身を痛めることのどちらにもよらないことから、中道とよばれました。また、釈尊の時代から年月を経ると、自らのさとりだけを目的とするのではなく、自他ともにさとりをめざす修行者があらわれました。これを「菩薩」とよびます。

このさとりをめざす行法は、六波羅蜜という項目に集約され、布施をはじめとする出家と在家に共有される生活実践として定着していきます。しかし、大乗仏教の修行の完成は六波羅蜜にとどまりません。浄土教の念仏という行は大乗仏教の重要な行法として人びとに親しまれ、多くの仏教者によって現代まで相続されています。


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