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西徳寺について

父の思い出

第十五世住職 篠田正成

父 篠田龍雄は二十代の後半に結核性の病気にかかり、大学も休学して数年間の闘病生活を送ることになりました。この時、病院のベッドの中で、無数の病原菌が生きている自分の体をむしばんでいく現実を見つめつつ、人生や命について色々と考え悩んだようです。結局、片方の肺と肋骨を数本なくしましたが病気は完治し、普通の人よりも元気に八十三才まで生きることができました。この病気をご縁に宗教について真剣に考え、信心を頂き、念仏の生活に入ったようです。

昭和六年から十五年までは京都の中央仏教学院講師となりましたが、毎週土曜と日曜は福岡県直方市の自分の寺に帰って法務をつとめました。また、昭和二十六年から五十三年五月に往生するまでは、毎月五日に東京に行き、各地の法座、東京仏教学院や大学の講師、拘置所の教誨師、清瀬病院の法座などを務めて、一日に自坊に帰り、各村の法座、ご門徒の法事にお参りし、自坊の保育園と幼稚園の入園式・卒園式・運動会などの行事も行うという生活を続けました。最初は寝台車でしたが汽車の切符がなかなか手に入らず苦労したこともあります。新幹線ができてからは楽になり、晩年は飛行機を利用するようになりました。二十八年間もの永い間よくも毎月毎月、東京と福岡の間を往復したものだと感心いたします。東京は日本の中心だから、東京で浄土真宗が盛んにならないといけないと良く言っていました。昭和二十年代に今後は東京が文化や情報の中心になることを考えていたのに驚きます。

父は一生涯、常にお衣を着て活動し、洋服を着たことはありません。しかも、東京はアスファルトやコンクリートばかりだから下駄は不便だといって靴を履いていました。それも白足袋をはいていますから大きな靴になります。お衣に大きな靴という格好で東京中を歩き廻り、歌舞伎座にも結婚式にも病院にも行きました。晩年、ヨーロッパを旅行しましたが、この時もお衣に大きな靴ですごしました。東海道線夜行列車の寝台車で朝お衣の下につける白衣を着ていたところ、びっくりした車掌に「お客さん、ベッドのシーツを着て行かないで下さい」と言われたこともありました。

父はまた常にお念仏をとなえ、一生涯お念仏の生活を送りました。本堂でも、仕事をしながらでも、歩きながらでも、便所でもお念仏をとなえていました。ぜひ浄土真宗のみ教えをお聞きしたいと遠方からわざわざ来られた御同行に「お念仏をとなえなさい」といっただけで終ってしまったり、宗教新聞に原稿を頼まれて初めから終わりまでただ「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」と書いて、これでは困るといわれたりしました。父の法話をよく聞いておられる東京の御同行もよくお念仏をとなえられ、法座では力強いお念仏の声が部屋一杯に響きわたりました。いつもお念仏をとなえていた父ですのでいろいろの逸話もあります。東京で銭湯にいって風呂の中で「なんまんだぶ、なんまんだぶ」ととなえていて番台の主人に「気分が悪いのですか」といわれたり、タクシーの中でお念仏をとなえていて運転手に「降りて下さい」といわれたりしました。それでもお念仏をとなえ続けました。本当にお念仏の行者であったと思います。法座でも「南無阿弥陀仏」は阿弥陀如来の本願であり、お慈悲であり、南無阿弥陀仏の一人働きであり、功徳が満ち満ちているなど、お六字の話を多くしていました。

父は東京でも九州でも毎月決まった日にちに決まった場所で法座を開き、決まったお同行がお参りになりました。お同行は毎月一度の法座にお参りすることを楽しみにしておられ、遠方からもわざわざ参ってこられました。法座では前席はお説教、後席はご示談で、お同行がいろいろと質問をし、それに答えるという形式でした。法座ごとにご信心に関する問答がなかなか活発になされていました。多くのお同行がテープレコーダーにお説教を録音して帰られ、家庭で仕事をしたり炊事をしたりしながら何度も何度もテープでお説教を聞きなおしておられました。父が往生して十四年になりますが、今でもお同行が毎月集まられて、父のお説教をテープで聞く会が続いています。東京でもこの会が十三年間続きました。父はこのような毎月の法座を中心に布教をしていましたので、広い会場に多くの人が集まる大会や講演会は好みませんでした。大会はご信心を頂くのに適していないと考えていたようです。

東京でも福岡でも大変忙しい毎日でした。阿弥陀様は常に休みなく活動しておられるのだから自分も御恩報謝をしなければといいながら、生涯よく働きました。このような父でしたので、私たち家族も常に働いていないと気に入らず、こたつに入ってゆっくりテレビを見ていてよく叱られました。また、お寺の周囲はきれいにしていないと気にいらず、自分で掃除をしたり、石を動かし、木を植えて庭を作ったりしていました。忙しい中でも一番大切にしたのはやはり法座です。ご門徒のご法事なども時間が許す限りお参りしていましたが、もしも法座の時間と重なった場合には法座の方にいっていました。母が病気危篤になったときでもお説教があるからといって帰ってきませんでした。法座を大切にするとともに、お同行も大切にしました。忙しいからといって私達家族ともあまり話をしませんでしたが、お同行とは二時間も三時間も話していました。それも家庭のこと、仕事のこと、お金のことまで何でも相談にのっていました。

私たち家族にはきびしい父でしたし、変人・奇人とも言われる一生でしたが、いま思い出すと心から信心に生きた念仏の行者であったと思います。また、力いっぱい活動し、浄土真宗のみ教えをひろめ、御恩報謝に努めた生涯でもありました。また、毎月毎月、法座にお参りになった多くのお同行のおかげでもあります。ただ残念なのは、父の死後私の力不足のためにすべての法座を続けることができず、多くのお同行に寂しい思いを抱かせてしまったことです。特に東京のお同行には申し訳なくおもっています。現在も自坊では法座を続けていますし、今後もできるだけの努力をする覚悟ですが、父のようにはできません。(後略)

『人生のたから~篠田龍雄法話集~』(百華苑) より


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