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宗旨

17.信心のよろこび

~凡夫と正定聚~

信心のよろこび

信心には大きなよろこびがあります 。なぜなら、自らのいのちの行く末も知らず、迷いを繰り返すしかなかったむなしい人生に、浄土へと向かわせ、さとりを開いていくという新しい意味が与えられたのですから。

阿弥陀如来のかならずすくうという、本願のこころを聞いて疑いのない信心をいただくことは、かならず浄土に往生してこの上ないさとりの仏となることに定まることです。信心の念仏者は、往生成仏が正し定まったなかま「正 定聚」に入れていただいたのです。

煩悩だらけの凡夫

浄土真宗では、私たちのことを「煩悩成就の凡夫」といいます。自己中心的な欲望で身を煩わせ、こころを悩ます「煩悩」を、すべて持ち合わせて迷い続ける者という意味です。

迷っていることさえ知らずに、煩悩に支配されて生きてきた私は、このまま迷い続けていくほかはありませんでした。これが私の本来のすがただったのです。阿弥陀如来は、この私の本来のすがたをきっちりと見定めて知らせ、そのようなあなたをこそすくおうと本願を発されたのです。

かならずすくう阿弥陀如来

阿弥陀如来は凡夫とよばれる私の本性をご存じで、決して自らさとることなどできないこの私こそをすくおうと、本願を発されそのすくいを成就されました。凡夫の私をすくう用意はすべて阿弥陀如来によって整えられていたのです。

夕日に照らされて見えた影

私が凡夫であることは、阿弥陀如来のすくいの光に照らされて初めてあきらかに知らされることです。自らが迷いの凡夫であることに気づかされたということは、阿弥陀如来のすくいの光に照らされているということにほかなりません。

ちょうど夕日に照らされた時、自らの影が見えたようなものです。影が見えているということは夕日に照らされ、その光に包まれているのです。

凡夫で正定聚

いのち終わるまで、煩悩はあり続け凡夫であることは避けられません。けれど信心の念仏者は二度と迷い続けることはありません。凡夫でありながら、もはやただの凡夫ではありません。正定聚の私です。


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