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宗旨

18.悪人正機

~仏さまのお慈悲のこころ~

悪人の意味

浄土真宗の教えの大きな特徴の一つに、「悪人正機」があります。「悪人こそが阿弥陀如来のすくいの本当のめあてである」という意味です。この悪人正機、特に「悪人」の意味が、しばしば誤解されています。私たちが悪人と聞いて思い浮かべるのはたいてい、犯罪者など社会の善悪を基準にした悪人でしょう。そして私たちは、そういう悪人は罰せられてしかるべきだと考えます。その延長で悪人正機を考えると、悪人が、罰せられるどころかすくわれるというのは理不尽ではないのか、といった疑問が出てくるわけです。

しかし悪人正機は、社会の善悪を基準にしているのではありません。仏教の善悪を基準にしているのです。仏教の善悪を基準にすれば、十悪・五逆といった罪を犯す者、たとえば、生きものを殺し、貪りや怒りのこころを抱き、迷いを深めていくようなものが悪人とされます。

悪人とは誰か

私は、毎日いろいろな生きもののいのちを奪いながら生きています。またこころのなかには、とても口には出せないような恐ろしく自己中心的な考えが渦巻いています。社会の善悪を基準にすれば、それが理由で犯罪者になるわけではありません。しかし仏教の善悪を基準にすれば、いのちを奪い続け、自己中心的な煩悩に支配されて迷いのなかにあり続ける私は、まぎれもなく悪人です。 悪人正機の悪人とは、どこかの犯罪者といったような他人事ではなく、この私自身のことなのです 。

平等の慈悲

そのような悪人の私を、阿弥陀如来はすくいの本当のめあてとされているというのが、悪人正機の正しい意味です。これについて、経典にたとえが説かれています。

七人の子をもつ親がいます。親の愛情はどの子に対しても平等です。しかし、七人の子のうち一人が病気になったならば、親の愛情は病気の子にひときわ注がれることになります。決してえこひいきではありません。七人みな平等だからこそ、病気の子をそのままにはしておけないのです。

同じように、仏さまもまた、すべての生きとし生けるものに同じさとりを開かせたいと、平等に慈悲のこころを向けてくださっています。だからこそ、この慈悲のこころは、すべての生きとし生けるもののなかでも、いま現に煩悩という重い病気によって苦しんでいる悪人の私にこそ、ひときわ注がれるのです。

悪い方がいい?

「悪人こそがすくいのめあて」と聞くと、じゃあ悪いことをしてもいいのか、むしろ悪いことをしたほうがいいんだな、と開き直る人がいます。それは前のたとえでいえば、病気になると親が優しくしてくれるから病気になるほうがいいというのと同じで、誤った受け止めかたです。 親がどれだけ病気の苦しみを心配しているのか、仏さまがどれだけ煩悩の苦しみを心配してくださっているのかを知らされたならば、病気のほうがいい、悪人のほうがいい、などと開き直れるはずがありません。

いま現に私が煩悩に満ちた悪人として生きているということに気づかせ、同時にそのまますくいとってくださるのが阿弥陀如来のお慈悲であり、そのこころをあらわすのが悪人正機という言葉なのです。


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